水戸の黄門様
学会のついでに、テレビで人気の水戸黄門様の出身地である茨城県の水戸市を訪れた。そこにある徳川ミュージアムにて光圀が実際に使用した印籠のレプリカを購入した。助さん、角さん曰く“みなの者!この紋印が目に入らぬか!”のセリフで有名である。“ハツ、ハハー”と皆がひれ伏す様子が見たいが、現代では無理か? 水戸藩第二代藩主。徳川光圀公は家康公の孫にあたり、徳川御三家の一つである水戸徳川家 を継承し、世に「水戸黄門」と呼ばれて親しまれた。公は、儒学を重んじ、我が国体の尊厳と人倫の大義を貫き、この信条をもとに、『大日本史』の編纂を始めた。多くの学者を集め全国に資料を求めるなどの困難な大事業であり、代々藩主に引き継がれ約250年かけて完成した。又、多数の古書の考証や文学集の編集を行ない、靈元天皇より「武を備え文を兼ねた絶代の名士なり」のお言葉を賜った。南朝の忠臣楠正成公の「鳴呼忠臣楠子之墓」(兵庫県神戸市湊川神社境内)を建て人々に感銘を与えた事は有名である。公が隠居するに際し、寿蔵碑「梅里先生の碑」を建て、その文章から高潔英遭な生涯を伺い知ることが出来る。